9月10日 かみさんの存在

828日(日)にかみさんは、3月からロンドンに住むようになった娘家族と同行してイギリスのガーデンを見に出かけました。
私はいつものように地方に講演の約束があり、同居している長男家族に見送りを頼んでという始末です。
かみさんは初めてパスポートを持ったのです。
私が同行しなければならないところですが、それもかなわずなので、せめて成田に見送りはしなければ、それもかなわず。というわけです。

4月からは、週の半分以上を大阪のホテルで過ごし、特段不足なく過ごしていますが、どうも、いる人がいるはずの場所にいるということが問題のようです。
別段相談しなければならないことがあるわけではないが、家にいないということが空虚感を感じさせます。

自分が何処にいるかはあまり問題ではないようです。
居る人が居るべき処に居る。
それが大事なことのようです。
小学生の頃を思い出しました。
学校から帰っての第一声が、「カーチャンは・・・」でした。
そんなことがわたしたちの気持ちを支え、安定させる大切なことです。
そこに存在していることが、他の存在を可能にし円滑にしている。

そこに存在していることが、誰かの存在にとって大切な意味を持つことを、私たちは大切にしなければならないことを忘れてはいけないのですね。

ロンドン、ちょっと携帯電話でもないし、やはり地球の裏側は遠いのですね。

社会の生活の中でいやなことがあっても、そこにいることを期待してくれている人も居るわけです。