9月25日 自身を主体として生きることと他者を主体として生きること

私には孫が四人います。長男のところに中2と中1の二人です。
長女のところに幼稚園の年中さんと間もなく2歳の二人です。
長女のところの二人が男の子で手の掛かる最中です。
家内は実に上手にこの二人と遊びます。1時間でも2時間でも相手をします。
幼稚園の年中さんは、家内が大のお気に入りです。
下の間もなく2歳は、ジィジといって私によくついて回ります。

 私は、まだ現職におりますから、家で仕事をする機会が多いのです。
孫の相手ばかりをしてはおれないという思いがあります。
現実は、目の前にいる孫の相手をせざるを得ないのですが、
頭は仕事のことに向かいがちなのです。
年中さんはその辺を察知するのです。

家内は孫を主体として相手をしてやれるのです。
私は自分を主体とする時間が必要という呪縛から解放できずに、孫を主体と仕切れないのです。

職業人としての自分を終わりにしたときには、孫を主体とした生き方ができると思います。
世の中には、仕事を辞めて、辞めざるを得ないで親の介護に専念している人たちがおられます。
食事、排泄、入浴などの生きる基本的なことが介助を必要になったら、
家族はそれに専念せざるを得ないのです。
命を支えるために介助を必要とするお世話を父の時は母が、姉妹がしました。
母の時は、家内、姉妹弟がしました。私は免除される幸運にいました。
それが72歳まで職業人としての活動を可能にしてくれました。幸運というしかありません。
多くの戦争では、多くの若者が何かのために戦い、命を捧げてきました。

人間の社会では、形が変わっても、何かのために人生を捧げるということは避けられないのかもしれません。
運、不運の巡り合わせが選んでいるとしかいえません。

他者を主体として生きるには、心に何を求めたらできるのでしょうか・・・。