明治維新(1867年)における我が国の医学革命と鍼灸の変革(第二次技術革新)

我が国の明治政府は、それまでの中国系医学からヨーロッパ系医学に医学革命を行った。鍼灸もその影響で、中国古代の医学体系を捨て、近代医学化が図られた。

 

1 明治(1880年代)における鍼灸の近代医学化 1880年代に日本には盲学校が開校され、「鍼治講習所」の名残から、関係者に鍼灸、あん摩の教育への期待が高まった。しかし、明治政府の方針は中国系医学の廃止であったために、明治政府は、視覚障害者の職業自立のために中国系医学体系によらない近代医学化した「鍼灸、あん摩教育」が盲学校に職業教育として位置づけられた。

2 明治時代の鍼灸の近代医学化の特徴

2−1 中国古代医学体系から近代医学体系に改革した。
 近代医学の基礎医学、臨床医学に経絡経穴、鍼灸の実技をのせたものとなった。極めて不完全ではあったが我が国の鍼灸は、近代医学の体系化が図られた。

2−2 生体機能を主体とする経験医術から物理的刺激を用いる刺激療法になった。
 それは鍼灸医学、あん摩医学としての体系を捨てたものであったために鍼灸・あん摩という物理的刺激による刺激療法となったものである。

2−3 近代医学の理学的検査を導入し、鍼のねらい打ちできる特徴を生かした、痛みを主訴とする運動器系愁訴に対する勝れた治療法となった。
 経験医術の真髄である生体機能を主体とするところは置き去りにしたけれども近代医学体系としての第一歩の改革がなされた。