日本の鍼の特徴と視覚障害者

 17世紀における鍼の技術革新を行った杉山和一は、視覚障害者であったが鍼の名人となり、徳川幕府の5代綱吉将軍の鍼侍医であった。触れて生体の反応を観察するという刺鍼技術は視覚障害者に可能な治療技術となっていた。 徳川幕府は、杉山和一の業績を高く評価し、屋敷を与え、幕府公認で「鍼治講習所」という鍼灸の教育機関を1683年に開設させた。「鍼治講習所」は、1871年(明治4年)に明治政府が閉鎖するまでおよそ200年間、視覚に障害のある人と障害のない人をも含めて、鍼灸、あん摩の教育を行った。 1683年に開設され、視覚障害者に鍼灸、あん摩の職業教育を行った「鍼治講習所」の業績は、ヨーロッパで障害者に職業教育を行うより100年早いものであった。 この「鍼治講習所」における視覚障害者に対する鍼灸、あん摩の教育の実績と伝統が、今日まで我が国の視覚障害者教育に大きな力となっている。 我が国は、1880年代に盲学校を開校し、職業教育として鍼灸、あん摩の課程を設置し、今日まで視覚障害者の職業自立を図ってきた。世界で日本のみが視覚障害者の鍼灸業を可能にしてきたが、杉山和一による鍼術の技術革新による日本の鍼の特徴と「鍼治講習所」における教育の実績と伝統が大きな礎となっている。